<本日のツボ229>
『感性を重んじて感性を殺す』
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<ツボの説明>
「なぜ、そのような決断を下したのですか?」
という質問に対して、
「自分の感性を信じて決めました」といったような返答を受ける
ことがあります。
人間の感性というものは「山勘」とはちがって、人それぞれが
独自に持っているバックボーンに支えられ、一定の特徴をもって
います。そしてその特徴は、なんらかの目に見える形となって現れ
ていることが多いものです。
たとえば、長唄のお師匠さんの家に生まれ育った人は、自然と、
洋式のものにも和風のテイストをうまく取り入たデザインを生み
出したり、そのようなものを美しいと感じることができる感性を
身に付けていて、その人の身の周りはいつのまにか、そのような
形式に揃えられてゆくといったことです。
ですから、「感性に従って決断する」というときには、その感性
のバックボーンとなっているものが何であるかをよく認識して、
それが決断の対象となっているものとマッチしているかどうかを
見極める必要があります。
そのマッチングを考えずにむやみに感性にこだわってしまうと、
せっかくの感性が受け入れられずうまく活かすことができないと
いった事態が起こります。
感性を重んじるあまり感性を殺してしまうのです。
いくら自分の感性を大切にしたいといっても、シニア向け市場に
10代の若者に受けるような商品を投入してしまうといったような
ことは、効率のいい決断とはいえないのです。
「感性」を「形のないあいまいなもの」と考えて、どっちつかず
の思いに決着を付けなければならないときにこの言葉を便利に使っ
てしまうと、現実とマッチしない決断をしてしまうことになります。
このようなことは、「努力」とか「根性」といった言葉に当て
はめることもできます。
「根性」や「努力」というものが、どのような形で目に見える
ものなのかを認識しておかないと、せっかくの「努力」や「根性」
が無駄になってしまったり、うまくいかなかったときの言い訳に
成り下がってしまったりするものです。
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アドバンマネジ経営コラム by 大山祐史
本コラムの内容は、大山祐史によるものであることを明記する
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