タイトルロゴ大山祐史の経営コラム

 


 <本日のツボ197>
   『一心に行なうということ』

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<ツボの説明>

  「プラス思考」とか「前向きな発想」とかいう言葉が、巷には
 あふれています。

  かく言う私も、無責任なことに似たようなことを何回か書きました。

  しかし現実には、とても「前向き」になんかなれっこないような、
 まさにどん底とか八方塞りと言う言葉が当てはまる状況に陥って
 しまっている方々もたくさん存在します。

  そのような人々は希望を失っていて生気がなく、生きる力まで
 失っていってしまうケースさえあるため、目が離せません。


  私自身もそれに近い状況になった経験があります。

  そのとき気付いたことがあります。希望を失うってどういう意味
 なのかということ。それは、将来の不確実さやそこから来る将来
 への不安が極限まで大きくなった状態だということです。

  そう気付いたとき、そんなことを思い煩うのがバカバカしいこと
 だということがわかりました。


  人間、オギャーと生まれた時から死ぬまで三万日あまり。
 もともと、将来なんてものは、「いつかは死ぬ」ということ以外は
 まるっきり不確実です。

  それがいつの間にか、自分の将来に対して「規定路線」みたいな
 ものができていて、それが崩れてしまうと、何かとんでもなく重要
 なものがなくなってしまったかのように感じてしまう。

  もともと明日以降のことなんて誰にもわからないことなのに、
 大人たちに「自分の将来のことを良く考えてみろ」などといわれて
 いるうちに、よくわからないことを想像して決め付けておくことが
 習慣になってしまうのでしょうか。

  「あのときこうしておけば、将来はもっと良かったはずだ」と
 いうのも同様で、これは、過去にこだわり将来を嘆いているだけ
 のことです。


  我が家ではどんなときも、4人の息子が絡まりあって遊んだり
 喧嘩したりしています。中二から幼稚園児まで、よくもまあ同じ
 レベルでとあきれ返ってしまうのですが、こいつらは明日の心配
 なんてまずしちゃぁいません。翌朝になってから「あ、宿題やって
 なかった」とかいってあわてていますから間違いないです。

  子供というのは、今日という日を力いっぱい生きてるということ
 なんだと思います。だから、親がどんなに凹んでいようとも、子供
 はエネルギッシュで輝いていられるのです。

  おとなから「将来の心配」をたくさん吹き込まれるに従って、
 子供はだんだん生気を失ってゆきます。


  禅宗では、今その瞬間に全力で向かうことを「一心」という言葉
 で教えます。「何事も一心に行なえ」と。

  たとえば、「水を飲む」というなにげない行いでさえも、その
 行為に集中して一心に飲む。「たくあんを食らう」ときには、ただ
 一心にそれを食らうのだと。


  あらゆることに「一心」を貫くことができれば、過去にも未来
 にもわずらわされることのない、子供のようなエネルギーを得る
 ことができるのかも知れません。

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 アドバンマネジ経営コラム by 大山祐史


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